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いま考えていること -免疫・固定観念・変容-

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こんにちは、4/1で新卒4年目となりました渡邊和樹です。
さて、今回GCストーリーHPに載せる社員ブログを
書くという機会をいただいたということで、
今世界中を不安に陥れているコロナウイルスの
感染拡大を通じて私が考えていることを
書いてみたいと思います。
正直このテーマについて
発信しようかどうかは迷いましたが、
私にとっても会社にとっても社会にとっても
大きなターニングポイントになるであろう
この出来事を私自身の言葉として残し、
それを様々な人と共有することには
きっと意味があるだろうと信じ、書くことを決めました。
専門的な医学知識等は誤っている可能性が
ありますので、誤りを見つけた際は
ご指摘をいただけると嬉しいです。
感染症と免疫

すでに様々な場所で書かれていますが、
歴史の中で感染症が人類を脅かした例は
多数あります。
有名なのは、当時のヨーロッパの人口の3分の1以上が
死亡したとされている14世紀の「黒死病」、
ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症により
先住民の人口が激減してしまった
16世紀のアメリカ大陸での感染症の流行、
当時12億人程度だった世界人口のうち
4000-5000万人が死亡した
1918-1920年のスペイン風邪などです。
また、近年では重症率は高くなかったものの
2009年に新型の豚インフルエンザが
流行したこともありました。
これらのようなある特定の時期に
感染症が爆発的に広がる現象の原因は、
病原体そのものの感染力の高さが
まず第一としてありますが、
それとともに人間がその病原体に対する免疫を
持っていないことが挙げられると言われています。
私は医学を専門としていないので
正しい理解ができているかはわかりませんが、
「ヒトがある感染症Aの免疫をもっている」
という状態は次のようなものだと認識しています。
感染症Aの病原体がヒトの体内に侵入する

免疫がA’という反応をすることにより、
感染症Aを排除・無力化、あるいは弱体化させる
そして、人類が誰も免疫を持っていない
感染症Xが現れた場合、
人類の身体がそれを排除するX’という反応を
するための免疫を獲得するか、
X’という反応を
外からの刺激によって引き起こす薬が
開発されない限り、
人類はその感染症Xに
蹂躙されてしまうのだと理解しています。
私達は固定観念に守られている
免疫をこのように「A→A’」「B→B’」というような
特定の異物に対して決まった反応をする
システムであると理解すると、
免疫とは
身体に刻みつけられたある異物に対する
固定観念であると言えます。
そしてこれほど技術が進歩した社会においても
免疫も薬もない病気に対しては
逃げるほかないという事実を
身をもって体感させられた
今回のコロナウイルスの感染拡大は、
私達の身体は生物学的に根深く
固定観念によって守られていたという事実に
気づかされる出来事であったと
言えるのではないでしょうか。
これは私達の思考についても
似たようなことが言えます。
私達は言語を使うことで思考をしていますが、
言語では通常Aという音の連なりあるいは文字に、
A’という意味内容・イメージがつきまといます。
(言語学ではAをシニフィアン、A’をシニフィエと言います。)
例えば、「や・ま(山)」という音声あるいは文字は、
山のイメージや概念を想起させることによって、
意味のある言語として取り扱うことができます。
このことはA’のないAを考えると
わかりやすくなるかもしれません。
たとえば「ラエタントケ」という音声あるいは文字は
いかなる具体的イメージ・具体的意味内容も想起しません。
こういった言葉は日常的な言語として
取り扱うことはできないのです。
また言語の場合、AとA’との関係は逆も成り立ちます。
私達が山のイメージを意識的に知覚する際には、
「や・ま(山)」というシニフィアンも
ほぼ同時に立ち上がってしまいます。
すなわち私達の思考も
「A→(↔)A’」という固定観念が存在しなければ、
日常的な意味では成り立たないのです。
現代は社会が大きく変化する時代であり、
そのためかよく
「固定観念に縛られず、創造的に考え、行動せよ」
という旨の言葉を目にしたり耳に聞いたりしますが、
その前提としてまず、私達の身体や思考が
固定観念によって守られ成り立っていることを
きちんと認識する必要はあるように思います。
固定観念から自由になるには?
とはいえ、固定観念に縛られているということが
私達を苦しめているということも
また一つの真実であると思います。
私達は往々にして過去の経験や先入観に
囚われてしまうことにより、
怒り、哀しみ、苦しんでいるのではないでしょうか。
(このことについては
私の人生の大事な指針の一つになっている
仏教の価値観が反映されているのですが、
それを書くと長くなりそうなので
また別の記事で書きたいと思います。)
では、一方では私達を守り、
一方では私達を縛っている固定観念と、
私達はどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
それは以下の知識と実践によって
自己自身を徐々に変容させていくことだと考えています。
知識:私を形成している固定観念が
実は固定的ではないと気づき、それを相対化すること
前節では、私達の身体や思考が固定観念によって
守られ成り立っていることを
きちんと認識することが必要と述べましたが、
今度はいまあるその固定観念は
唯一絶対のものではなく、他のしかたでも存在でき、
変容しうるものであることを知ることが
必要となります。
固定観念というのはめったに変化することがなく、
変化してもごくわずかしか変化しないから
“固定”しているとみなされていますが、
実際のところは相対的で可変的なものなのです。
現に私達の身体の免疫システムや
私達が使っている言語も
日々徐々に変化しているのです。
この気付きこそが、
自己自身を変容させていくための準備となります。
実践①:意図的に異物を取り入れること
自らを縛っている固定観念から自由になり
自己を変容させていくためには、
知識だけでは不十分で、実践によって実際に
変容を体験することが必要と思います。
実践のやり方は2パターンあると考えています。
まず1つ目が意図的に異物を取り入れることです。
これは免疫システムの例えで言えば、
既存の免疫システムでは対抗できない病原体に
自らを晒すことであり、
言語の例えで言えば、
現在の語彙では言い表すことのできない
イメージや概念X’と出会うことです。
それによって私達の免疫システムは
新しい病原体に対する免疫を持つように変容するし、
私達の言語の世界にはX’を表す新しい言葉Xが
取り込まれるのです。
実践②:意図的に免疫不全を起こすこと
実践の2つ目は意図的に免疫不全を起こすことです。
これは上で示した免疫システムや
言語のA→(↔)A’という流れを意図的に止め、
Aが現れてもA’が起こらなくなるように
すること(またはその逆)です。
実践には痛みが伴う
ここで気をつけなくてはならないことは、
実践は必ず痛みを伴うということです。
免疫システムに未知の異物(新型の病原体など)を
放り込んだり、
その一部の働きを止めてしまう(免疫不全を起こす)
わけですから、当然身体には負担がかかります。
そして、その負担が大きければ
その身体は不可逆的な死に至ってしまうかもしれません。
変容のストレスに耐えきれず、
自己自身そのものが崩壊してしまっては、
元も子もありません。
なので、意図的な実践は予防接種のように、
用法用量やタイミング、副作用を
考慮した上で実施しなくてはならないのです。
GCストーリーの組織変容
さて、私達はこの数年間を通じて
ヒエラルキーによって指示命令系統が
構築されていた組織から、ティール組織で語られている
組織論のエッセンスを取り入れつつ、
フラットでありながら家族的なウェットな
カルチャーも残す独自の組織づくりを模索してきました。
その歴史はGCストーリーのnoteに
#組織改革リアルストーリーとしてまとまっています。
これを改めて読んでみると、
私達の変容はまさしく
「固定観念を相対化すること」から始まり、
その後さまざまな「異物」や「免疫不全」を
意図的に経験しながら
徐々に徐々に新しい組織のかたちに
身体を馴らしていくプロセスだったのだ
ということに気づきました。
#1の前編・後編で書かれている「昭和の価値観」
という固定観念の揺れ動きと世界の捉え方の変化、
「内発的動機」(#2)「ホラクラシー」(#4)などの
「異物」の取り入れ、
「マネージャーの廃止」「経営会議の廃止」(#7)などの
今まで組織の課題を解決するための
機能の意図的な停止(免疫不全)、
というように
固定観念から自由になっていくプロセスを
踏んでいく中で組織の形も徐々に変容していったのです。
記事を読んでいただければわかるのですが、
どのプロセスにも必ず葛藤が生じています。
あるときには社員のやりがいが失われたり、
あるときには社員同士が冷戦状態に陥ったり、
まさに前節で書いた「実践に伴う痛み」です。
しかし、私達の組織はその痛みによって崩壊することなく、
新しい形に変容することができました。
これからの社会と私達にできること
いま世界はコロナウイルスという「未知の異物」によって
強制的に変容を余儀なくされています。
コロナウイルスそのものの生命に対する脅威だけでなく、
人と人との密接したコミュニケーションが禁止され、
経済活動の大部分が縮小してしまっている今、
私達がこれまで当たり前だと思ってきていた
さまざまな物事が揺らいでいます。
これは私達を守ってきた固定観念が
否応なく剥がされてしまうという経験ですから、
多くの人々が憤りや哀しみ、不安を感じていると思います。
GCストーリーは幸いこれまでに変容を経験してきたので、
変容の際にどんな痛みが生じることがあり、
それにどう対処するとよいのかという暗黙の知見が溜まっているため、
今回の出来事にも比較的柔軟に
対応できているのではないかと思っています。
そんな私達だからこそ、
今この強制的な変容に対して憤りや哀しみ、不安を
感じている方々に経験をシェアすることで、
何かヒントをお伝えすることができるのではないかと思っています。
GCストーリーとしても現在発信に力を入れており、
公式のnote社員個人のTwitter(私自身はやっていないですが…)での発信も
盛んになってきております。
私も筆無精なのでなかなか書くことは
できないかもしれませんが、
できる限り発信に力を入れたいと思います。
みなさんがこの危機を生き抜き、
再び平穏な日々が訪れること、
そしてそのときには私も含め
今までの固定観念から少し自由になり、
前よりも幸せに生きられるようになることを
心から祈っています。

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