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理解できない事をまずは受け入れることが事実認識の始まりになる

こんにちは。
あけましておめでとうございます。
入社2年目システム課の久保です
とうとう自分のブログの番になりました。
忙しくて書けないでいるうちに、
書くのを忘れたまま年が明けてしまいました。
すみません^^;
新年ということなので、新しい気づきになるよう
「理解できない事をまずは受け入れることが
事実認識の始まりになる」というについて、
感じていたことを書いてみます。
理解できないことというのは、
何事でもいえるのですが、
例えば、
ファミレスで店員を怒鳴っている人だったり、
店の商品を盗んでしまう人だったりです。
そういった理解できない行動を見ると、
そんなことで怒るのはよくないだとか、
他人の物を盗むなんて許せないとか、
すぐさま是非を判断することで満足し、
それ以上は考えないという態度を取りがちです。
ですが、どんなに間違っているように思えても、
相手にとって何等かの理由があるからこそ、
相手はそのような行動をするのです。
(ファミレスで怒鳴ったり物を盗んだり
していいと言っているわけではありません。)
少し想像するだけでも、
些細な事で怒っていたのではなく、
溜まっていたどうしようもない怒りが
たまたまファミレスで顕れただけだったり、
どうしようもなく貧しくて
盗むことでしか生きていけない状況だったなど、
考慮すべき事情の可能性にきがつきます。
理解できない事に遭遇した時、
自分には全く理解できないからダメだ
と判断するだけでは、そういった考慮すべき事情に
気が付く可能性を閉ざしてしまいます。
なので、是非の判断とは切り離して、
理解できないことが確かに起きている
という事実を、まずは受け入れること。
それが事実認識の出発点と
なるんじゃないかなと思います。
理解できないことに対する嫌悪感
グッとを乗り越える必要があるので、
なかなか難しいのですが・・・。
今年も一年よろしくお願いいたします!

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