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コウノトリがやってきた

入社5年目の長谷川です。
今日は、ズボンを前後ろ逆に履いて、穴あき靴下で出社してました。
うーん、こんな日もありますよね(⌒‐⌒)
寝ながら出社してたのかしら・・・
さて、私事ですが、今月末より産休をいただくこととなりました。
お世話になった皆々さま、本当にありがとうございました。
育休明け、またお世話になるかとおもいますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
ある日、夫とランチを食べに行ったときに、なぜかふと思い立ちまして、
もし我々に子どもを授かることがあったらどんな子だと嬉しい?
と聞きました。
彼はしばらく考えたのち、
「うーん、生意気な子がいいな」と言いました。
んん?どうゆうこと?
すごく興味深い答えが返ってきたので更に質問してみると、
「親の世代は30年違う、変化の激しい今の時代に、
(自分の頭で考えずに)親の言うことをハイハイ聞いているようでは、
その子は時代に乗り遅れてしまうし、その子にとって良い人生を送れない。
だから我々の考える”正解”のような教育に対して、生意気に返してくる子がいい」
と説明してくれました。
私はその時、ハッとするような感銘を受けました。
人間である限り、自分の望み通りにいかないことに対して、
人間は支配的・時には暴力的になる感情を持つことがあってもおかしくないと
(私の価値観では)思うのですが、
彼は、そもそも人を操ろうとする概念で生きていないんだなと思いました。
そして、許容する人なんだなと思いました。
根底に流れている世界観に、なんだかハッとさせられ、空がひらけた感覚がしました。
そして、なんだかとても非科学的ですが、
私はその時に天国からコウノトリがやってきたんだろうなと思います。
ヒトには理解できないことがこの世には山のようにあるでしょうから
きっとこうゆうこともあるでしょう笑。
今回、人生の大きな節目を経験する中で一番大きな学びだったのは、
「喜び」ではなく、
どんな理由であれ、お腹の中の子を諦めなければならなかった方や、
授かりたいと思ってもなかなか思うようにいかない方の胸中でした。
母体の疾患、胎児の先天性異常、レイプ、不妊、金銭的事情等、
理由は様々ではありますが、
人間が人間である以上、人間が動物である以上、
愛情を注ぐという直感的な(あるいみ野性的な?)気持ちを留めなければならないのは
とても不自然で、痛々しく、行き場のない感情になるんだなと痛感しました。
しないとできないは、目の前にある事実は同じでも、全く非なるものだと感じます。
自由とは、選択権のあることなんだなと思います。
同じように、私は私のお腹にいる子を育てることはできません。
どれだけ食事に気を使ったり、あらゆる物事に気を配っても、
もちろん栄養の供給は出来ますが、それを受け取るか否かは彼(彼女)の意思次第です。
子自身の意思が無いと、そもそも何も生まれることはありません。
悲観している訳ではないのですが、
流産・死産等、私たちの望みとは離れた結果になることも、
この世にはたくさんあります。
それでも私は、彼(彼女)の生きる力を信頼して、彼(彼女)の意志に委ねて、
健やかに生きてくれることを願おうと思います。
そして、これからも、彼(彼女)からたくさんのことを学ばせていただこうと思います。
最後にぼやきですが、母親というアイデンティティを獲得すると
なんだか他のものはぜんぶすっ飛ばして、
「母親」だけが自分の大きな看板のようにになる気がするのですが、
※他人の目としても、自分自身も含め。
きっとそうではなくて、すべて私の人生の通過点で、
イマココに生きていることがすべてなので、
日々の私の人生そのものもまた、味わっていきたいなと思いました。
※写真は先日の社内勉強会の様子です\(^^)/今回は社外からゲストをお招きしました※
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