はじめまして、入社1年目の青木です。
僕も就活時にこのブログを読んで企業理解に役立てていたところがあるので、
gCストーリー(以下、gC)の理解が深まるようなコンテンツを書きたいと思います。
ということで、今日は僕が新人研修の一環で行われた社長研修を通じて、「成長と貢献」というgCの理念が腹落ちしたエピソードについて書きます。
上にも書いた通り、僕が「成長と貢献」という理念に「これしかない」といった確信めいたものを感じるようになったのはつい最近のことです。
では、これまで、つまり就活生時代や内定者時代はどうだったかというと、「なんとなくそれっぽいのだけれど、どうもしっくりこない」といった感覚を持ち続けていました。
僕が引っかかっていたのは、「貢献」という言葉の響きでした。
その響きに、ある種の胡散臭さを感じていたのです。
少し話は横に逸れますが、僕は学生時代に1,000冊近く本を読んでいて、「善」とか「真理」といった㎡のをひたすら探求していました。
その中で見えてきたのは、世の中的に言う「善」というもののほとんどすべては主観に依存した切り取り行為(=トリミング)なしにはあり得ないということでした。
例えば僕らが「貢献」という言葉を使うとき、それは対人間に限った話であったり、その中でも見える範囲の人間関係に限った話しであったり、さらに限定された人間関係における話しであったり…といったように、そこには必ずある種のトリミングがあります。
それを知ってか知らずしてか、「貢献」という言葉を使う人間はひどく傲慢に見える。
僕がこの言葉にある種の胡散臭さを感じていたのはそういう理由です。
ではなぜgCを受け、そして入社を決めたのか。
それは、gCで働く人が「貢献」という言葉を掲げて働きながらも、全くといっていいほどに傲慢さを帯びていなかったからでした。
ただ、それでも入社を決めた時点では自分の決断に100%の自信を持てていなかったので、gCやその理念に対して、「なんとなくそれっぽいのだけれど、どうもしっくりこない」といった感覚を持ち続けてきたのでした。
前置きが長くなりましたが、その感覚に変化があったのが最近で、きっかけが社長研修であったというところから、本題に入ります。
社長研修は、主にgCの理念(フィロソフィー)を体系化した「gCガイド」を元に、各フィロソフィーに対する解釈や気づきを担当者が発表し、それに対して他の同期が質問しながら理解を深め、最後に社長が解説をする、といった形式で行われました。
そのgCガイドの導入部分にあった、「成長と調和」という言葉に、僕は「成長と貢献」という言葉を理念に掲げて働くことの意義を見出したのです。
gCガイドの冒頭には、「gCガイドとは宇宙の意志に沿った『考え方』」とあり、ここでいう「宇宙の意志」こそが、先に述べた「成長と調和」であると書かれています。
「宇宙の意志」というのは、万物に通底する不変のロジック(≒真理)のようなもので、これが「成長と調和」であるという考え方には妙に納得がいきました。
動物や植物、つまり自然のあり様というのは、まさしくこれに他ならないと感じたからです。
しかし残念なのは、人間がこれをそのまま意識したところで「宇宙の意志」に沿った生き方はできないということです。
人間には滅し切れない煩悩があるからだと社長は言います。
滅し切れない煩悩があり、常に「利己」の側面に振れているが故に、人間がこれをそのまま意識したところで「宇宙の意志」に沿った生き方はできないということです。
ではどうすればそれができるようになるのか。
人間が「宇宙の意志」に沿った生き方をすることを邪魔している「煩悩」や「利己心」を押し殺すことでしょうか。
僕もそう考えていたのですが、どうも違うらしいのです。
というのも、これらは「滅し切れない」という前提があるからです。
「滅し切れない」という前提がある以上、そうしようとしたところで無理が生じ、自然や社会との調和を遠ざけてしまいます。
そこにこそ、「成長と貢献」の「貢献」を意識することの必要性がありました。
ポイントは以下の2つです。
第一に、煩悩は滅し切れないということ。
第二に、その結果として、人類は常に利己的な側面に振れてしまっているということ。
これをありのままに受け入れるということが「宇宙の意志」に沿った生き方の大前提としてあり、その上で「利他」や「貢献」を意識することでこれが可能になるのです。
「成長と貢献」の「貢献」というのは、僕が思っていたような傲慢なものではありませんでした。
それは、「我々には滅し切れない煩悩がある」「利己的な側面に振れてしまっている」「それでも自然や社会と調和したい」という謙虚な姿勢からもたらされたものです。
僕はこれを腹の底から理解したとき、gCの理念を確信しました。
その正しさを確信したというよりは、それを意識して働くことが、自分をよりよい状態に導くだろうということを確信したのです。
それとともに、自分が働くこの会社や、そこで働くことを選んだ自分自身に強い誇りを感じるようになりました。
このブログを書いている今、入社して2ヶ月ほどが経っていますが、僕は未だかつてないほどに自分という存在を「全うしている」というか「生き切っている」という感じがしています。
この、自分の生き方に対する確信がもたらす充実感を噛み締めながら、引き続き爆進して参りたいと思います。
次回は、同期の井上にお願いしたいと思います。