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「裏切られること」は「わかり合うこと」への入り口

入社3年目の長田です。
 
 
【人への期待について考えることが増えた】
 
 
最近、「人に期待すること」について考えることが増えました。
北海道から東京に社会人として上京して3年が経ち、
環境も自分自身にも色んな変化がある中で
「自分から人への期待値が上がっている」と
感じることがちらほらあります。
 
 
例えば地元に帰って飲食店に行ったとき。
店員さんの手際の悪さや、お客さんを入り口で放置していても
特になんの挨拶もないことに対して、
少し「うーん」と思う自分がいて。
「自分の中でここまでやってほしいと思う基準が
上がっているのだなあ。」と気づかされました。
昔ならこんなこと気づきすらしなかったのに。
 
 
「気づけること」は素敵なことですが、それによって
不満感が出るのはなんとなく不健康だと感じます。
今回はそんな期待について、
自分と向き合って考えたことを書いていこうと思います。
 
―――
○期待とは
 
 
【期待】あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。
当てにして心待ちにすること。 【小学館 / デジタル大辞泉より】
 
 
期待とはときに「こうあってほしい」と願うことであり、
ときに「こうあるべきだ」と盲信することだと思います。
どこまで行っても僕たち人間は主観の生き物だから、
自分にとっての常識が他者や世の中に必ず通用するわけ
なんかないのに、ついつい無意識に自分の中の常識をつくりあげて、
期待という形で他者に何かを望んでしまうことって多々ありますよね。
なぜ不満や失望が生まれるのか。
その裏には「こうあってほしい」という自分の期待が隠れています。
幸せに生きる上では自分の期待値をどうコントロールするかは
とても重要な気がするんです。
 
――― 
○「信じること」と「相手の可能性を信じること」
 
 
「じゃあ何に対しても期待しないで生きちゃおうぜ。
どうせ裏切られるし。はじめから信じないでおこう」
そう思うのはてっとりばやいけど、なんだか寂しいですよね。
 
 
「これは期待じゃない。信頼だ。
純粋な気持ちで信じていたのに裏切られたんだ。」
人を信頼しないのはなんだか冷たい人生ですが、
一方で「それって本当に信頼だったの?」とも思うんです。
 
 
「裏切られる」ってなんだろう。自分が「裏切られた」と感じた時、
自分は本当に裏切られたのか。自分が相手を
「勝手に妄想で信じて期待していただけ」ではないのか。
自分に対して問いかけてみる。
先輩と後輩のコミュニケーションで「なんでできないんだ!」って
やりとりがありますよね。それって多くの場合、
先輩が後輩の能力を見誤っているか、自分の常識を
押しつけていることが多い気がするんです。
悪気はなくてもつのった愛情が期待として表出して、
ときには相手を苦しめてしまうことがある。
そんなときに僕は「期待すること」と「相手の可能性を信じること」を
混同していないか自分に問いかけるようにしています。
 
 
例えば「期待と現実がちがったとき」は裏切られたのではなく
「自分が相手の可能性を見誤っていたんだ」と思うようにしています。
一方で「自分が自信をもって信じている相手の可能性」の
範囲のことについては絶対的な安心感をもって頼るし、
もしそれが結果とちがう時は「ああ自分の見極めが甘かったんだなあ」
と反省しています。
 
 
また、人が常に安定したアウトプットを出せるわけはなく、
ゆらぎが発生して当たり前ですよね。このゆらぎこそが
「人間らしさでもあり、愛おしさや美しさでもある」
とも感じるんですよね。
 
 
―――
○どんどん期待を裏切られていこう
期待を裏切られる。それは一見怖いことのようにも、
悪いことのようにも見えます。だけど僕はむしろ
「それってチャンスじゃん?」と思うんです。
 
 
期待を裏切られること。
あるときは「自分から相手に向けていたバイアスを正すきっかけ」
になり、あるときは
「相手への押しつけ=自分がゆずれないこと=自分の価値観」
を知るきっかけにもなる。
それは相手の意外な一面に気づくチャンスでもあり、
自分自身の価値観すら変えてくれる変化のきっかけに
なるかもしれません。つまり相互理解のチャンスでもあり、
対話のチャンスでもあります。
 
 
「期待すること=悪」にも見えてしまいそうな書き方を
しましたが、「期待すること」や「期待を裏切られること」って
そんなに悪くないことだと思うんです。
逆に「人の期待に応えることが必ずしも正義じゃない」はずだし
「期待に応えられない=無価値なんかじゃない」はずです。
 
 
大事なのは自分がその時おきた「不満や失望」という
「気持ちにどうやって向き合って」そこから
「相手とどうやって接するか」だと思います。
少しずつ、自分自身や身の回りの人が、自分や他者に優しくなれたり、
他者からの期待という重荷が軽く感じられるようになったら
嬉しいなあって思います。
 
 
そして、理想を言うともっともっと人と人がわかり合って、
影響し合いながら繋がっていったら素敵だなあ…!と思っております!
 
 
―――
 
P.S.「相互理解」と「対話」の時代に向けて
 
 
僕が今回書いた内容に少し重なるおすすめ本があるので
最後にご紹介します。演劇界で有名な平田オリザさんの
「わかりあえないことから」という本です。
 
 
読んだのは大学2年生くらいなのでもう5年も前!になるのですが、
これからの時代にとても大切なことが書かれている本だと思います。
(gCストーリーの最終選考を一緒に受けていた女の子が
人生で1番影響を受けた1冊として上げていました。
懐かしい・・あの子元気かなあ。会いたいなあ。)
みんながそれぞれの個性や価値観、
ありのままを大事にできる時代だからこそ、
相互理解と対話がとっても大切になってくると思います。
 
 
今回のお話を読んでより深く専門的な意見も交えながら
考えてみたいと思った方はぜひ手に取ってみてください。
わかりあえないことから
 
 
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