サービスプロモーショングループの黒川です。(入社9年目)
私事になりますが、先日母方の祖母が
86歳で亡くなりました。
急性の肺炎で、病院から連絡がきてから
5日後に息を引き取りました。
“いつ亡くなってもおかしくないです”
という連絡を病院から受け
すぐに家族で祖母の住む熊本県天草市へ向かいました。
病院に着いた頃にはまだ意識があり
会話も出来る状態でした。
駆けつけた我々に対して祖母は
“(来ることを知らなかったから)ご飯の準備をしていない”
ことや
“寝泊まりの用意が出来ていないこと”等の
心配をずっとしていました。
自身は倒れ入院している状況で
“いつ亡くなるかもわからない”中でも、
家族や周囲の人の心配をする。
その姿に、胸を締め付けられると同時に
最後まで命を燃やしている力強さと優しさを感じました。
祖母が旅立ったあと、
家族で家の整理をしていた時です。
随分昔に書かれた日記のようなものを発見しました。
そこには自身の生い立ちを始め、幼少期の想い出や、
祖父との出会い、子供が生まれた時のことなどが
書かれていました。
その中でも印象的だったものが、
幼少期に経験した戦争の記録です。
当時、松ヤニを取りに行っていた際、
作業に夢中になっていた祖母は
空襲警報に気付かず
逃げ遅れてしまったことがあったそうです。
防空壕へ入れず、近くで身を潜めていた祖母が
目にしたのは長崎県に落ち煙を上げる
原爆投下の瞬間だったそうです。
幼少期にこの様な死と隣り合わせの経験をし
“生きることが当たり前じゃない”世の中で育ち
家庭が出来てからは、家族や子供、私達孫への
沢山の愛情を捧げたくれた人生には
きっと”自分を犠牲にすること”が
多くあったのだろうと思います。
それでも思い出すのは、
いつも楽しそうに歌いながら料理を作る姿や
誰かが遊びに来るのを嬉しそうに迎えてくれて、
泣きながら見送る姿ばかりです。
そんな姿を想い出していると祖母の人生を
“自分を犠牲にして過ごしてきたもの”と捉えるのは
失礼だと感じました。
亡くなる間際に見た
“命を燃やしている力強さと優しさ”こそ
祖母が全うしてきた人生そのもの何じゃないかな
と思うのです。
これからも祖母に応援してもらえるように
私自身も”全ての人へ恩返しをする”というミッションを
人生をかけて全うしていきたいと、
改めて決意出来た瞬間でした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
亡くなる前に祖母が作っていた途中の干し柿たち。
(こんなに沢山誰にあげる予定だったのかな~笑)