2011/3/11
14:46
太平洋三陸沖を震源に「東日本大震災」が発生しました。
日本を襲った被害の度合いは今このブログで改めて書くまでもなく、
非常に広い範囲で多くの被害を出しました。
そんな未曾有の震災に対し、サイベイトではスコップ団(http://schop-dan.com/)に参加し、
瓦礫撤去や、被災宅の清掃などのボランティア活動に参加してきました。
(スコップ団に参加した際の社員ブログ→https://blog.gc-story.com/2011/09/65)
スコップ団とは何ぞや?という方は下記HPをご参照下さい。
スコップ団HP:http://schop-dan.com/
スコップ団 団長 平了(タイラ リョウ)さんのブログ:http://blog.goo.ne.jp/cheapdust
「人助けに理由はいらねえ!」を合言葉に被災地で津波に飲まれた家屋を掃除し、困っている人を助けたスコップ団。
その団長の平さん自身も宮城在中の「被災者」であるにも関わらず、率先して動きチームを立ち上げました。
そんな平さんの姿を見て、県内外を問わず団員が集まり、今では大きなボランティチームになりました。
そんなスコップ団とご縁があり、スコップ団立ち上げ初期から色々とお付き合いをさせて頂きました。
そんな関係もあり、スコップ団の最後の大仕事である「東北大震災 鎮魂花火 ‘天国にぶっ放せ!’」に出席させて頂くことが出来ました。
少し遅くなりましたが、今日はその花火を通して、感じた事を書こうかと思います。
ちなみに「天国にぶっ放せ」とは。。
2012/3/10
多くの方が被害を受けた東北大震災の発生から1年目を迎える日の前日、
「何も無くて平凡で平和で、それでいて何も無いことが幸せだった、日常の3/10」その3/10こそが大切で幸せだった。
そんな何も無くて幸せだった3/10に、この震災で無くなった2万人の方へ向けて鎮魂の花火を打ち上げようというもの。
(天国にぶっ放せ!の詳細は団長のブログを参照下さい→http://blog.goo.ne.jp/cheapdust/e/768944be6fa5d0cbc1c053f46b8e8978)
さてさて、前置きが長くなりましたが。
いよいよ花火の事を書きます。
かくいう自分も出身は東北。
岩手県宮古市田老(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%80%81%E7%94%BA)という港町の出身です。
ですので、例に漏れず。
実家を含め、地元全域が津波の被害を受けました。
生家は波に飲まれ、家族は仮設住宅で生活しています。
非常に幸いな事に家族は両親・祖父母共に無事でした。
でも。。。。育ち過ごした町が跡形もなく津波に流され。
親戚や同級生、先輩や後輩達が津波により亡くなりました。
そういう意味で、震災以降の1年間は辛い日が続きました。
震災直後は勿論ですが、両親の安否が確認出来た後も、両親が仮設住宅に移った後も、その後数週間、数カ月たっても
心の中にずっとモヤモヤした遣り切れない気持ちがあり、立ち直れたようで立ち直れていない日々が続きました。
そんな中、着々と準備が進んだスコップ団の鎮魂花火。
団長の思いをブログで読み、考えに共感をした自分はずっと活動を応援し3.10を待っていました。
鎮魂花火へは東京から会社が手配してくれたバスに乗り込み。10日の朝に出発。
一路、会場を目指しますが、あいにく天気は雪。
でも、見れなくても良い。どうか無事に打ち上げて欲しい。そういう気持ちでした。
行きのバスの中から、やや泣きそうで(笑
宮城県に入り、空が暗くなる頃に1度バスの中で涙が流れました。
亡くなった友人を思って流れた涙でした。
震災がなければ死ぬことも無かった、25歳という早い人生の幕引きに、本人も悔しかったろうし、やり残したことも多かったろう。
そう思って悲しくて泣きました。
花火本番はもっともっと泣くのだろうと・・覚悟をした瞬間でもあります(笑;
そうこうしている内に会場の泉ヶ岳スキー場へ到着。
焼香をあげ、18:00からの花火に備えバスで待機です。
17:40 団長の開会の言葉から、天国に歌を~と題して、歌が謡われました。
雪の降る中のステージで。会場の皆で手をつないで聴きました。
18:10 花火打ち上げ開始。
泣くことが予想された自分は、素早く会社のメンバーの元を離れ、一人で隅へ移動。
打ち上がるのを待ちました。
「スコップ団!最後元気だしていこうぜ!」という団長の掛け声と共に、BGMも流れていよいよ花火打ち上げです。
ゲレンデの上に打ち上がった花火。
雪雲に隠れることも無く、大輪の華を夜空に咲かせました。
「いいぞーーー!最高だーー!」
何処からか声援も上がっていました。決してお祭り気分の声援では無く、
心からの気持ちで、花火と、スコップ団へ送られた声援だったと思います。
何発上がったのか分からないけど、凄く綺麗な花火でした。
夜空に轟音と共に次々打ち上がる花火は、とても綺麗で、そして儚くて。
涙が溢れて止まりませんでした。
涙を拭くのも忘れ一心に花火に魅入りました。
不思議だったのは、花火を見て流した涙は「悲しくて」「寂しくて」流れた涙じゃなかった事です。
震災以降で流した涙は、全て辛く、悲しさから来る涙でした。
友人が亡くなった事。
無くなった地元の風景。
そういった事から来る悲しみへの涙でした。
でも、花火を見ながら流した涙は違いました。
綺麗で、そして凄く嬉しくて、流れた涙でした。
「嬉しい」という表現があの時の感情に対して適切かどうかは微妙ですが・・・・
でも、凄く嬉しかったような気がします。
あの時の気持ちを上手く表現出来ないのですが。。。本当に心から感動し、亡くなった人を想い、
「送り出せた」そういう気持ちもあった様な気がします。
鎮魂花火に関しては「3.10は幸せだったよって。君がいてくれて幸せだったよって。 そう伝える花火になれば良い。」
そう思ってました。
「3.11以降大変だし、心はモヤモヤしたままだけど。 でも俺は元気だぞ!って伝える花火になれば良い。」
そう思ってました。
「まだ東北復興終わってねーぞ(笑! って伝える花火になれば良い。」
そう思ってたのに、花火を見終わって感じたことは、これは亡くなった方への鎮魂の花火だったけど、
同時に「遺された人達」へ向けての花火でもあったという事です。
大切な人が亡くなった事、故郷が無くなった事。
そのどれをとっても大きな悲しみです。
その悲しみを忘れる事は決して出来ないけど、それだけの悲しみを抱えて生きるのは酷すぎる。
でも、亡くなってしまった大切な人を、思い出を忘れてしまうのは、故人を裏切ってしまう行為なような気がして、辛かった。
でも、思い出す事も辛かった。
流された町は復興の兆しは無く、仮設住宅への入居可能期間も決まっている。
後も前も色々な辛いことが多くて、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えたままだったのに。
「ドーーーーン!」と大きな音をたてて打ち上がった花火を見ていると、少しづつ心の中にあった蟠りが取れていくようでした。
あの花火で救われたのは生きている人達だったのかもしれない。そう思います。
震災で大切なものを無くしてしまった人達を救った花火だったかもしれない。
少なくとも自分はあの花火で救われました。
天国へ送った筈の花火が、実は天国へ逝ってしまった人から、
残ってしまった人達へ向けられて「お前ら元気だせよ(笑!」と言って送られたような花火。
観た人によって感じた事は違うと思うけど。
少なくとも自分はそう感じました。
ありがとう。
花火を見ている後半はただひたすらに感謝の言葉が胸の中にありました。
ありがとうございます。
スコップ団の皆さん。
花火に連れてきてくれたサイベイト。
この1年間、常に心の支えになってくれた友人・同僚。
仕事でお世話になっている方々。
無事でいてくれた家族。
一緒に花火の会場に言わせた皆さん。
たくさんの人の暖かさに支えられて今がある。
心から有難うございます。
今回の大震災で多くの方が亡くなり、無事だった人も家を失い、故郷を流され、怪我をされて未だ治療中の方も多いでしょう。
まだまだ復興というには程遠く、この震災で心身に傷を負った人が立ち直りには、まだまだ長い時間を有するでしょう。
「あの震災から早いもので1年」なんて報道がされれば、もうすっかり過去の話になってしまい。
人の記憶からは忘れられてしまいますが、でもまだ何も終わってない、解決してはいない。
一人一人が出来ることを。
遺された人は出来ることをしようよ!そう改めて思い直す事が出来ました。
何もスコップ持って泥や瓦礫をどけろってんっじゃない(笑
募金しろってんでもない。
物資送れとか、そういう事でもない。
出来る事って、何もそういう事ばかりじゃない。
被災地から遠く離れた地域の人は、震災の話に対して「何て言えばいいのか分からない・・」というのも本音だろう。
それなら、ただ忘れないでいてもらいたい。
2万人が亡くなった震災ではなく、大切な人を失ってしまった事故が、あの1日で2万件も起きたのだということを。
それだけの悲しみが生まれた瞬間だった事を。
そして震災前日の3月10日は、大切な人が当たり前に居るという日常の幸せを、2万人が意識ぜずとも、体感していた事を。
「日常」が一番幸せで、何よりも大切なんだ。
親、兄弟、友人、先輩、後輩、クライアントさん、パートナーさん、近所のコンビニの店員さん・・。
誰だって良い。
日常の中で触れ合っている人、出会った人、その全てが大切だし、何よりも大事にして生きたい。
日常の大切さが分かれば、戦争や自殺なんて起こるもんか。
震災で亡くしたものは大きいけど、花火はそこから大切な事もあることを思い出させてくれました。
親孝行しよう。
友人を大切にしよう。
仕事をもっと頑張ろう!生きてるんだし、きっと何でも出来る!
震災で被害をうけた地元も復興させてみせる!
なんだって出来る。
生きてるんだから、なんだって出来る!!!
何時の日か、自分が向こうへ逝く事があった時に、亡くなった友人や先輩に胸をはって会えるように。
今を一生懸命に生きよう。
そう感じました。
もう少し、色々思うところもあるのですが・・・
これ以上長くなるのはマズイので、まだ別の機会に書ければと思います。
拙いブログでしたが。
長々と読んで頂き有難う御座います。
最後に、この震災で亡くなった多くの方のご冥福をお祈りすると共に、
未だ震災の影響で辛い思いをしている全ての人が、少しでも早く元気になれますように。
サイベイト株式会社
デザイン課
平内 祐斗